We Love Sports:アーチェリー 山本 博さん

すべては厳しさを自分で求めにいけるかどうか

「巨人の星」のような貪欲さ

 僕が中学生でアーチェリーをはじめた頃はまだ新しいスポーツで、どちらかというと競技よりもレジャースポーツという感じでした。そんな中で当時から僕は、野球みたいなメジャー競技の子たちと同じくらい努力したらすごい選手になれるんじゃないかと思ったし、当時人気だったアニメ「巨人の星」にも感化されて、自分を鍛えるということに貪欲でした。野球のコーチみたいな人はおらず、学校の先生が楽しく教えてくれる、というような環境でしたから、厳しさは自分で求めにいかなければならなかった。僕はそれを自発的に求めて、考えて、自分で挑戦することができたから、史上最年少の中学3年で全日本選手権に出たり、高校でインターハイを3連覇できたり、良い結果を残せたのだと思う。そういったことが今日にいたるまでの自分を形成する基礎になっていると思います。

常に自分で「何か」を獲りに

 中学2年のとき、1976年のモントリオール五輪で日本の大学生がアーチェリーで銀メダルを獲ったんですよ。それをラジオで聞いていて、この世界でやるなら頂点はオリンピックだということを認識したし、自分もああなるんだと、ハッキリとした目標になりました。
 最初のロサンゼルス五輪のときもそうですが、僕は今の自分の立ち位置はどこか、何が自分に足りないか、どんな練習が必要かを分析して何年も前から下準備をするんです。アテネ五輪の前だとか、それが空回りしてしまう時期もありましたが、それらすべての経験が自分の血肉になって今に活きていると思います。
 常にインプットを忘れずに、50代に入ってから大学院で体のケアや免疫などを学んで博士の学位を取ったり、自分で何かを獲りに行く、という姿勢はずっと変わらない。それが最も大事なことなんじゃないかと思っていますね。

教員、競技者としての総仕上げ

 自己管理については、体重・運動量・食事には常に気を配っていますし、睡眠は十分とるようにしています。他の人と同じにやっていたらダメだという思いもあったから、仲間で食事に行ったりしても、2次会は行かないで早く帰る、とかね。その代わり競技から完全に離れた日は目一杯遊ぶので、嫌われたりっていうことはなかったです(笑)。
 今はパリ五輪の出場を目標に、しっかり準備をしているところ。オリンピックってものすごく大きなものだから、その先のことはあまり考えられないけれど、還暦を迎えて大学の教員としても定年まで残り数年。スポーツを通じて若い人たちに何かを伝えるということの仕上げを考えながら、競技者としても、良いこと悪いこと色々あったけれど、最後にアーチェリーと出会えた人生が最高だったと思えるようにしっかり挑んでいきたいと思っています。

Profile

1962年、神奈川県横浜市出身。
中学生でアーチェリーをはじめ、1984年、大学在学中にロサンゼルス五輪に出場、男子個人で銅メダルを獲得。
20年後の2004年、アテネ五輪で銀メダルを獲得。
現在はパリ五輪への出場を目指す傍ら、日本体育大学スポーツマネジメント学部の教授として教鞭を執る。